

文学・文化研究から医学的分析、性、政治学、国家、祝祭、音楽、ファッション、演劇にいたるまで、総勢45名の書き手が「21世紀の身体批評」に大胆に迫る。図版多数。
もくじ
はじめに 『〈二一世紀版〉身体批評大全』への招待 巽 孝之+宇沢美子
序・二一世紀身体批評事始 巽 孝之
I 国家
大村敦志 法における身体――身体は何を媒介するのか?
巽 由樹子 帝政末期ロシアのスポーツと身体
藤木健二 近世イスタンブルにおける「王の祝祭」
松平保久 最後の会津藩主・松平容保の晩年
渡邉 太 集団的示威行動と民主主義
巽 孝之 帝国の身体 ――ストラダヌス、ガスト、バルトルディ
II セクシャリティ
長澤 均 モードと政治的身体 ――色彩とファシズムと計測をめぐって
新島 進 新・独身者機械論序説
小平麻衣子 連合赤軍事件と女性の身体 ――桐野夏生『夜の谷を行く』を読む
高橋裕子 トランスジェンダー学生のアドミッションと女子大学のミッション――日米の事例を中心に
小谷真理 コスプレする身体
川合健一 Pan-Exoticaのエロティック・アート――拡張するメディアとしての身体
III 演劇
千木良悠子 居る身体、居ない身体
宇吹 萌 舞台芸術活動における私のヴィジョン
佐々木英子 インタラクティブに創造する身体――応用演劇の立場から
平田栄一朗 メディアとしての受容身体――主体のずれた(自己)認識と取り残された身体について
IV 場所
島地保武 身体に聞く
島地保武×環ROY 〈舞台〉は、時空を超えた待ち合わせの場所 ――作品『ありか』をめぐって
V 人間科学
北中淳子 ライフサイクルの精神医療化と脳神経科学的自己――認知症の人類学
松尾瑞穂 剰余としての身体 ――インドにおける代理出産から
上山健司 メディアとしての身体的な障害――すべての人に起こりうる未来
今井 浩 加齢による身体変化と意識変化
川畑秀明 美男美女論は、摂理か、差別か、羨望か?
座馬耕一郎 チンパンジーに学ぶ眠りの身体
VI 祝祭
岡原正幸 感情というメディアで、知は祝祭化する
サエキけんぞう ロック、そのメディアにおける身体性の歴史
三室毅彦 サンタナの甘い音と彼女の面影
ジョー小泉 スポーツは人生に役立つか?
林 浩平 舞踏という身体言語 ――からだとことばの詩学
宮坂敬造 踊りとアール・ブリュットについての断章 ――身体・自己・狂いのイメージ
VII エスニシティ
佐川 徹 戦争と平和をもたらす三つの胃 ――東アフリカ牧畜社会の身体、他者、家畜
吉田ゆか子 メディアとしての芸能の身体――バリ島の仮面舞踊劇を例に
中村香子 牧畜民サンブルのモランのメディアとしての身体
野中 葉 信仰と装い――イスラームにおける身体と服装
後藤絵美 神をめぐる体験――現代イスラーム運動と宗教的な意識、知識、身体感覚
有光道生 ディス・イズ・アメリカ――「黒い身体」というメディアの可視性と不可視性について
VIII 人文学
柏端達也 世界と私たちとを媒介する身体
原田範行 『ガリヴァー旅行記』の身体性と言語表現
粂川麻里生 ゲーテ形態学と整体
小川剛生 姿を隠す兼好法師
加藤有佳織 錯綜するカッパの子 ――『カッパの飼い方』と西脇順三郎
宇沢美子 幻想か告発か――一八世紀拷問機械The Air Loomの謎
おわりに 巽 孝之+宇沢美子