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オースター、フランゼンが絶賛する期待の若手 小説の執筆に挑む詩人の、美しく愉快な語り 「全ては今と変わらない――ただほんの少し違うだけで」 主人公の詩人を通じて語られる、「世界が組み変わる」いくつもの瞬間。身体感覚は失われ、過去と未来、事実と虚構(フィクション)……あらゆる境界が揺らめきだす。 オースター、フランゼンが才能を評価する米の若手作家による「遊歩(フラヌール)」小説。 「タコは手足に触れるものの味まで感じることができるが、身体感覚は鈍い。〔……〕局所的な肌理(きめ)の違いは分かっても、その情報を統合してより大きな像を描くことはできず、世界というリアルな虚構(フィクション)が読み取れない。何が言いたいかというと、僕の体は各部分が神経学的な自律性――空間的であると同時に時間的な――を持ち始めたということだ。心臓が収縮するたびに、柔軟すぎる大動脈がわずかとはいえ拡張し、未来が僕の中で崩れていった。」(本文より) 「私たちが本書で目にするのは、現実と『ほんの少し違う』世界だ。〔……〕語り手は冒頭で、『同時に複数の未来に自分を投影してみようと思う』と宣言する。それはつまりこの小説の中では、先ほど述べたような『ほんの少し違う』世界が、疑似時間旅行を経た複数の未来として表象されていることを意味している。」(「訳者あとがき」より) ハリケーンの上陸が迫るニューヨーク、ブルックリン。詩人である語り手の〝僕〟は前年に発表した小説デビュー作で思いもよらぬ評価を受けていた。新たに『ニューヨーカー』誌に掲載された短編を組み込んで長編を書くと約束すれば、6桁強の原稿料が前払いでもらえるという。その一方で、〝解離〟の可能性があると診断された〝僕〟の大動脈。人工授精のために〝僕〟の精子を提供してほしいと言い出した親友の女性、アレックス。ニューヨークの街を歩き回ったり、テキサス州マーファで芸術家としてレジデンス生活を送ったりしながら、〝僕〟は長編の構想を練る。そして、自分がかつて雑誌を編集していたときに著名な詩人たちとの間で交わしたやり取りを偽造し、小説に取り込むことを思い付く……。 作者はオースターやフランゼンが絶賛する1979年生まれの若手。詩人としての評価も高く、本作の自意識的な主人公の語りでも、その独特のリズムを存分に味わえる。「同時に複数の未来に自分を投影してみようと思う」と冒頭で宣言するこの語り手を通じて、私たちはいくつもの、現実とは「ほんの少し違う」世界を目撃する。図版多数収録。 [著者略歴] ベン・ラーナー Ben Lerner 作家・詩人。1979年カンザス州トピーカ生まれ。これまでにフルブライト、グッゲンハイム、ハワード、マッカーサー各財団のフェローに選出される。詩集を3冊発表しており、Angle of Yaw (2006) は全米図書賞の最終候補に。本書の前作となる処女小説Leaving the Atocha Station (2011) はポール・オースターやジョナサン・フランゼンに絶賛され、文芸誌『ビリーバー』が主催するビリーバー図書賞を受賞した。なお、本書の抜粋は『パリス・レヴュー』誌のテリー・サザーン賞に選ばれている。 現在はニューヨーク市立大学ブルックリン校の英語学科で教授も務める。また美術に造詣が深いことでも知られ、ドイツの現代美術作家トーマス・デマンドの作品に詩を寄せた共作Blossom (2015) がある。 [訳者略歴] 木原善彦(きはら よしひこ) 1967年鳥取県生まれ。京都大学大学院文学研究科英語学英米文学専攻博士課程修了。大阪大学大学院言語文化研究科准教授。主要著書に『UFOとポストモダン』(平凡社)、『実験する小説たち 物語るとは別の仕方で』(彩流社)ほか。主要訳書にT・ピンチョン『逆光 上下』、R・パワーズ『オルフェオ』(以上、新潮社)、H・マシューズ『シガレット』、H・クンズル『民のいない神』(以上、白水社)、D・マークソン『これは小説ではない』(水声社)ほか。

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