医学が「科学」になろうとしていた18世紀。カリブ海植民地は熱帯医学のフィールドワークの場となった。植物を使いこなし、独自の治療法を編み出した奴隷や先住民。彼らの医療知識を評価する一方で、その秘密を開示させようとするヨーロッパ人医師。知をめぐる交流と葛藤、搾取と抵抗の相互関係を科学史家ロンダ・シービンガーが分析する。
目次
序章
大西洋世界における医学実験/人間の被験者/実験の分類学/植民地という坩堝/知の循環/情報源の問題
第1章 科学的医学の台頭
西インド諸島における実験/肌の色の科学、あるいは人種の細かな生理学的差異/移植された人間—場所vs人種
第2章 「黒人医師」の薬物学実験
鉄の木と知の循環/アフリカ仮説/ヨーロッパ仮説/アメリカ大陸仮説/大西洋広域圏仮説
第3章 医療倫理
ヨーロッパにおける倫理—「助けること、少なくとも害をなさぬこと」/西インド諸島における倫理—奴隷の問題/誰を最初にするのか—冷水を用いた実験/奴隷—保護されたカテゴリー?
第4章 搾取的な実験
クワイヤーの天然痘実験/トムソンのイチゴ腫実験/兵士と水兵/ヨーロッパの子供と貧者/身体は互換可能なのか—医学の文脈から
第5章 植民地という坩堝—奴隷制をめぐる議論
オービアと妖術/偽薬を使った実験/奴隷医療者の非合法化/有色自由人の専門職からの排除/身体は互換可能なのか—植民地の文脈から/よりよい生活環境の提唱/出産をめぐる実験
終章 知の循環
ヨーロッパ人の植民地のつながり/アフリカ人の奴隷貿易のつながり/アメリカ先住民の征服のつながり/無知学と大西洋世界の医療複合体
付図 本書に登場する西インド諸島のイギリス人・フランス人医師
原注
参考文献
索引
[訳者解題]
新大陸の奴隷制について 並河葉子
「秘密」の植物が照らす歴史の闇 鶴田想人
訳者あとがき 小川眞里子
著者
ロンダ・シービンガー Londa Schiebinger
スタンフォード大学歴史学科ジョン・L・ハインズ科学史教授。「科学、保健・医学、工学、環境学分野におけるジェンダード・イノベーション」プロジェクト創始者。科学史および科学にジェンダーの視点からメスを入れ、「普遍的かつ公正な科学」幻想を打ち砕いてきた。「科学と技術におけるジェンダー」研究の国際的な先駆者であり、国連、欧州議会、多くの研究助成機関で講演活動を展開。ハーヴァード大学で博士号を取得(1984)。アメリカ芸術科学アカデミー会員。アレキサンダー・フンボルト財団からフンボルト賞を受賞(1999–2000:歴史部門で全米初の女性受賞者)、米国のグッゲンハイム・フェローシップなど栄誉ある賞を多数受賞。スペインのバレンシア大学(2018)、スウェーデンのルンド大学(2017)、ベルギーのブリュッセル自由大学(2013)から名誉博士号を授与されている。 初の単著『科学史から消された女性たち』に次ぐ2作目『女性を弄ぶ博物学』で国際科学社会学会・第2回フレック賞受賞。3作目『ジェンダーは科学を変える!?』では理工系分野の女性研究者をいかに育成するかを論じ、4作目『植物と帝国』では文化的・社会的文脈で抹殺されてきた知識の研究(アグノトロジー)の重要性を説き、3つの国際的な賞を受賞。ロバート・プロクター氏との共著でAgnotology(Stanford University Press, 2008)がある。Women and Gender in Science and Technology(Routledge, 2014)の4巻本を編纂し、過去およそ40年間にわたる「科学・技術における女性とジェンダー」に関連する論文や著作のアンソロジーを出版。近年では性差に配慮した革新「ジェンダード・イノベーション」を提唱し、欧州委員会や米国衛生研究所と協力してプロジェクトを展開。日本でも2022年4月、お茶の水女子大学に「ジェンダード・イノベーション研究所」が設立された。ジェンダード・イノベーション関連に、Gendered Innovations: How Gender Analysis Contributes to Research(European Commission, 2013)、Gendered Innovations 2: How Inclusive Analysis Contributes to Research and Innovation(European Commission, 2020)がある。
訳者
小川眞里子(おがわ・まりこ)
三重大学名誉教授(科学史・科学論)。(公財)東海ジェンダー研究所理事。博士[学術](東京大学2012年)。著書『フェミニズムと科学/技術』(岩波書店2001年)、『甦るダーウィン』(岩波書店2003年)、『病原菌と国家』(名古屋大学出版会2016年)。共編著『女性研究者支援の国際比較』(明石書店2021年)、『ジェンダード・イノベーションの可能性』(明石書店2024年)。共著『環境危機と現代文明』(朝倉書店1996年、新装版2008年)、『科学技術と社会』(東京大学出版会2020年)、『科学と倫理』(中央公論新社2021年)など。共訳書にシービンガーの主要著作4冊はじめ、ボウラー『環境科学の歴史』I・II(朝倉書店2002年)など。『病原菌と国家』で日本科学史学会学術賞。令和4年度男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰など。
鶴田想人(つるた・そうと)
大阪大学社会技術共創研究センター特任研究員。東京大学大学院総合文化研究科(科学史・科学哲学研究室)博士課程単位取得退学。修士(学術)。専門は科学史・科学論。日本学術振興会特別研究員(DC1)を経て現職。論考「無知学(アグノトロジー)の現在」(『現代思想』2023年6月号)、「植物の名を正す」(『ユリイカ』2023年4月号)など。共編著『ジェンダード・イノベーションの可能性』(明石書店2024年)、『無知学への招待』(明石書店、近刊)、翻訳にプロクター「無知学」(『思想』2023年9月号)など。
並河葉子(なみかわ・ようこ)
神戸市外国語大学外国語学部教授。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程中退、修士(文学)。専攻:イギリス帝国史、ジェンダー史。主要論文に共著「奴隷貿易・奴隷制廃止と「自由」」(『国民国家と帝国』岩波講座世界史16巻、岩波書店2023年)、「反奴隷制運動の情報ネットワークとメディア戦略」(『情報の世界史』第6巻、ミネルヴァ書房2018年)。共訳書にレヴァイン『イギリス帝国史—移民・ジェンダー・植民地へのまなざしから—』(昭和堂2021年)、共同監訳にシェリダン、シールズ編『イギリス宗教史』(法政大学出版会2014年)。